港へは海や運河を渡ってきた商船が数隻停まり、人々は乗り降りに忙しい。積み荷は食材や資材が主だった物。武器を運ぶ船は一つとしてなかった。
 港から町の中心へ進んで行くと、新しい建物が多い。数年前、ここら辺り一帯は大きな城と共に城下町ごと広く焼き払われた。まっさらに、何もないゼロの状態になった。今ではそんなことを感じさせないほどに活気に溢れているが、当時を覚えている人は大勢いる。それでも、それを知らない子供たちは次々に生まれてくる。そういう時代になった。そういう時代に、なっていっている。

「仲澤」

 声に振り返れば、そこには数ヶ月ぶりに見る懐かしい顔。楽器を背負っている背中が、相変わらずずしりと重そうだ。

「野上。今帰ったのか?」
「うん。商船に乗っけて貰って。東から運河回って、ぐるっと北まで。南の方はまだ建築中の物が多いけど、手作りの屋台や山車で商い始めてる人たちもいたよ。ここともすぐに同じになると思う」
「そうか。変わったな、随分と」
「変わるほどの時が経ったんだよ。あれからもう八年。俺たちも結婚して子供がいて、信じられないくらい世界は変わったよ」

 北が滅びたあの日。その夜明けのことを、人々は終末の夜明けと呼んだ。
 たった数年の間に大勢の人間が殺し合い、一年足らずで国が四つも滅んだ。その恐ろしい終末が終わるのだと、希望を込めて。
 荻野が言ったように、夜明けが来たら人殺しをしようとする人間は一人もいなかった。北の領地にいる人間は、兵士の長屋が燃え尽きて全滅したことに悲しみ暮れたが、復讐を企てる者はいなかった。俺にはそれが不思議だったが、理由はすぐに分かった。失った憎しみよりも失った悲しみよりも、ここに生きている実感の方が強かったからだ。俺も片腕を落とされたが、今もこうして生きている。生かされている。
 俺はこの世界でどう生きていけばいいのか考えて、国があった四つの場所に足を運んだ。先に滅ぼされた国の跡地では、すでに新しい生活が始まっていて、すぐにそれらが野上の成果だと思った。野上は国が滅ぶ度に足を運んで人々に音楽を聴かせて励ましてきた。そうして人々は生きる気力を取り戻していったのだ。それにひきかえ、俺は何一つ出来なかった。野上みたいに音楽で人を励ますことも出来ない。何も出来ない。だから、出来ることを考えたんだ。野上は楽器を持って、終末を知る語り部になった。 荻野が起こしたことや、加瀬が、先生が望んだ理想のこと。荻野が望んだ理想のこと。唄に乗せて、あったことをすべて伝えていくために。
 俺にはそんなことは出来ない。俺に出来ることと言えば、残った片腕で荻野が願った世界を守ること。広い草原があって、子供たちの笑い声が絶えなくて、戦う必要がない世界。そんな世界で、俺は武器を捨てて生きてゆく。それが俺の出来るただ一つのこと。

「あいつは?」

 問いかけに野上は首を振る。

「里のあった場所にも行ってみたんだけど、誰かが来た形跡も残ってなかったよ」
「そうか」
「やっぱり、会いたい?」

 野上が遠慮がちに笑いながら訊ねる。俺も苦笑するしかなかった。

「会ってどうするつもりなんだろうな。八年も経ったのに、何も変わらないなって笑って貰いたいだけかもな」
「俺結局、あの時最後まで荻野の笑顔を見られなかったよ。今この世界にいるのなら、きっと笑えるはずなのに」
「あいつが望んだ世界なのに、当人がいないんじゃなあ」

 荻野はあの日、俺たちに意志を託して加瀬の部屋を出たきり行方が分からなくなっていた。死ぬつもりだったのだから死んだのだと思ったが、死体や彼女の得物がどこからも出てこないのだ。それから今の今までずっと探し続けているが見つからない。きっかけすらも掴めないでいる。そして彼女を覚えている人は俺と野上以外にいなかった。四つの国を滅ぼそうと動いていた女のことを知っている人々は大勢いたが、荻野を知る人はいなかった。
 幼い頃に友を殺し、たった一人で敬愛する師の使命を果たそうと戦っていた。それはどれほど孤独なことだっただろうか。常に仲間に囲まれて過ごしていた俺には到底理解できないだろう。今更になって彼女の心中を察する。

「あのな、野上。俺は人殺しをしてた頃は、死ぬのが怖くなかったんだ。でも今は怖い。大切な物が増えて、寿命を終えてこの世界を去るのだと思うと少し怖い」
「それが人間の、普通の感情だよ」
「でもこの間、城の跡地にある武器のオブジェの前にまだ成人しないような子供がいてさ、思い詰めた顔してるもんだから声をかけたんだよ。そうしたら、死ねないこの世界が怖いなんて言ってきてさ」
「孤児かな」
「そんな感じだったな。昔は孤児なんて餓死して死ぬもんだった。今は孤児がいれば施設が引き取って面倒見てくれる。でもだから、同じ孤児が死んで楽になって羨ましいと思っていた奴には辛い。死ぬことよりも、生きることが怖いんだ」
「その子はどうしたの?」
「施設の先生に話して俺のとこで引き取った。目的がないから生きることが怖いんだと思うんだ。そいつが生きる意味を見いだせれば、少しは世界を好きになれるんじゃないかなとか、柄にもないこと思ってよ」

 そう言ってから、俺は野上が笑いを堪えているのに気付いて気恥ずかしくなる。

「笑うなよ」
「ごめん。だってなんか、加瀬さんに、先生に似てるなと思って。俺たちに生きる意味を、目的をくれたのは先生だったから」
「八年前から人殺しは起きてないけど、俺は不安で仕方ないんだ。あいつが望んだこの世界に、人殺しが出て来てしまうんじゃないかって。人殺しの俺が知らずに導いてしまうんじゃないかって」
「荻野が仲澤に意志を託したのは、仲澤が人殺しだからだと思うよ。先生は今の仲澤の役目を荻野にやって貰うつもりだったんだ。でも彼女は、自分の意志でそれを仲澤に託した。大丈夫だよ。八年間も片腕で、この世界を守ってきたじゃない」
「情けを掛けられた片腕でな」
「いつまで言うの、それ。女々しいよ」
「あいつの方がずっと男前だったよ」

 青い風が吹く。まだ少し肌寒いが、風に乗って花の香りがする。春がくる。

 ○

 むかし、むかし
 ぼくたちがくらすこのせかいは
 たたかいがたえない、かなしいせかいでした
 たくさんのひとがたたかって、いなくなってしまいました

 そこで、ひとりの先生がたちあがりました

 ひとがあらそわないせかいをつくろう

 先生はひとりのおんなのこをえらびました
 おんなのこは先生をしんじて、ひとがあらそわないせかいをめざしました
 おんなのこもまた、たくさんたたかいました
 たくさんのひとがいなくなりました

 たくさんのたたかいのなかで、よっつのくにがなくなりました
 そして、たたかうひとがひとりもいなくなりました
 ひとびとはこのときを、しゅうまつのよあけとよびました

 先生がのぞんだように
 ひとがあらそわないせかいができたのです
 たくさんのひとがわらえる、しあわせなせかいができたのです

 ぼくたちがくらすこのせかいが
 たたかいをやめなかったのはいまはむかしのはなし

 ぼくたちがくらすこのせかいは
 えがおがたえない、しあわせなせかいになりました

 ぼくたちはこのせかいを、まもっていかなければならないのです


「おしまい」

 読み終わって絵本を閉じると、子供たちは口々にもう一回読んで! とせがんでくる。

「ご本は一日五回までって約束でしょう? 今日はもうおしまい」

 そう言って絵本を鞄に片づける。子供たちはまだ不満そうだが、そろそろ日が暮れてくる。まだ春には少し早くて、日が暮れるとぐっと冷える。

「さあ、おうちに入りましょ。今日の晩ご飯はみんなで釣ったお魚よ」

 食べ物の話をすると子供たちは喜んで家に入っていく。
 靴は脱ぎなさい、ちゃんと揃えなさい、手は洗ったの? うがいは? いちいちすべてを言ってあげないとやらない子供たちだけれど、それでも可愛くて仕方がない。

「先生」

 声を掛けられ振り返れば、一番年長の子が玄関の引き戸の横に立って外を気にしている。

「僕、絵本に出てくる夜明けの場所に行ってみたい。元北の国でしょう?」
「そう。でもここからだと遠いわよ? 一人で行ける?」
「うん。行ってみたい」
「じゃあ、北に着いたら仲澤という派手な頭の男を頼りなさい。きっとあなたを助けてくれるわ」
「うん」
「でも明日ね。今日はみんなでご飯食べて、みんなの横で寝て、明日出発しましょう。寂しくなったらいつでも帰ってきなさい」

 そう言って頭を撫でてやる。

「あなたが帰るところは、いつまでもここにあるんだからね」



END

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(C)神様の独り言 2010.7.1
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